多発する自殺 ~いじめ編~

シーサー赤嶺@KUHW01

2006年11月01日 01:49

世の中には現実逃避の手段に、自ら死を選ぶ人がいる。

いじめ、仕事の責任の重荷、孤独感の果てにそれを選び人生を断っている。

もっと、良い選択は無いものか?周りがサポートする(気づく)事によって防げはしないものなのか?


いじめについて書きたい

僕は小学校4年生まではいじめっ子の側にいた。
肌の黒い女子S子に対しては「バイ菌」と呼び、
泣き虫の給食をよく残す男子Y男に対しては、残した日に「肩パン(肩にパンチ)」
を戒めとしてやっていた。

当事者である僕は全く気づかない、「いじめをしてる」という事を。
僕がいじめをした事によって2人(SとY)はクラスメートからもあからさまにいじめを受けるようになっていた。

僕がいじめの主謀者みたいになっていたと思う。
(注:2人は自殺はせずに今も元気に生きている。)


ある日、僕はY男の母親に学校帰りに待ち伏せされて怒られビンタされた。
別の日に、S子の母親にも呼ばれ怒られたが、この事がさらにいじめをエスカレートさせていく。
S子には「S菌」と呼び、わざとS子の机を触った僕は「汚い」と言っては「S子菌タッチ」と言ってクラスメート仲間にさらにタッチして伝染していくようにして、からかっていた。毎日のように。




いじめに気づいた担任の先生は僕を個室に呼び出しこう言った。

「~(僕の実名)菌、~菌って友達から言われたらどんな気持ちね?」

僕はすごく心が痛かった。と同時になぜか胸がすごく熱かった。
その一言を言われるまで、人を思いやるという事を知らなかった僕。

この一言を境に、僕は変わっていった。



いじめとは、担任の先生、親や友達、周囲の人の助けでしか止まらないのだと思う。
世の中には人が溢れていて摩擦が生じる事が多いが、逆にもっと認め合える支え合える助け合える世の中になっていったら素晴らしいと思う。
どの年代にも「いじめ」は潜んでいて、ほんの「からかい」から「いじめ」に発展していくケースも多いはず。これからは、いじめの傍観者には決してならないようにしたいです。





※自分の過去に懺悔をするという意味でも、そして読んでいただいた方にも「いじめ」について一緒に考えていただくためにもここに書き記しました。

今日の二曲
アーティスト 『Booing sheyner』
タイトル   『月夜の恋唄』
アーティスト 『石嶺聡子』
タイトル   『花 』

 おまけ
アーティスト 『高橋真梨子』
タイトル    『ごめんね』